木屋瀬宿(こやのせ)は、室町戦国時代には木屋瀬津、木屋間とも呼ばれ、筑前の国守護代の館がおかれて、大宰府へ連なる水陸交通の要衝、港津および宿駅として発達していました。江戸時代の初期、長崎街道が開通すると、筑前六宿の一つとして、しかも福岡城下へ連なる唐津街道の分岐点、宇佐~香椎両宮をむすぶ勅使道と長崎街道の交又点、そして遠賀川の渡船·河岸場として重要性を発揮し、経済的繁栄を見るようになりました。
木屋瀬宿には、福岡藩直営の御茶屋(本陣)や、民間経営の町茶屋(脇本陣)2軒、旅龍20軒余、茶屋などの休泊施設があり、それに船庄屋や一般商家などが軒をつらねていました。一方、長崎奉行や参勤交代の九州大小名オランダ商館長(カビタン)一行以下の通行送迎に人足や馬を提供する人馬継所(問屋場)などの継立施設、さらに高札や里程標などもおかれました。また、一般行政関係の郡屋や代官とその下代3人、村庄屋などの屋敷も宿内の中心部かその近くにあり、町並の両端には東·西両構口が配置されて、宿内の境域を示していました。その西構口の外側には長崎街道と唐津街道の分岐点に追分道標が立ち、後者の道筋にはすぐ近くに遠賀川の渡船場がありましたが、その手前には幕末期に関番所が設けられました。
北九州市八幡西区木屋瀬3-16-26
歴史と人の交流の場、みちの郷土史料館。宿場にまつわる史料を中心に展示しています。その名が示すように、街道の旅、歴史への旅体験がテーマです。木屋瀬を訪れる人にとってはもちろんのこと、地域の子ども達にとっても「みち」と郷土の歴史を楽しく学ぶことのできる場所です。さまざまな趣向はほどこされ、江戸時代から明治・大正・昭和にわたって、街道と宿場、当時の暮らし、炭坑・木屋瀬に密着した文化などを体験しながら見ることができます。
のーてぃす 表通りに面した格子窓とよしずから喫茶室に差し込む光が美しい。
のーてぃす 玄関
のーてぃす 奥の喫茶室
中庭
外観
床の間に古家具
北九州市八幡西区木屋瀬3-17-8
飛脚、荷物の受付や発送、駕籠・馬、人足等の調達・斡旋をしていました。現在の郵便局・旅行社・運送会社を兼ねた機能を持つ半官半民の組織で、問屋役の補佐として問屋下役、年寄等の役もありました。
他の道幅が5mに対し、問屋跡前は仕事上道幅が7.5mと広くなっています。この場所は、水害に備えて当宿場内で一番の高台の位置にあります。長崎街道沿いに飛脚井戸も残っています。
明治4年(1871年)木屋瀬郵便取扱所の開設のとき、政府より野口甚平が江戸期より引き続き木屋瀬宿人馬問屋役を拝命し、初代の郵便取扱人になりました。大正から昭和初期にかけて日本の学校教育に多大な貢献をした教育者である故野口援太郎の生家でもあります。
問屋場跡(野口家)外観
北九州市八幡西区木屋瀬4-7-7
江戸時代、木屋瀬には年貢米の集積場である本場(米場)が置かれ、遠賀川では「川ひらた」と呼ばれる川船がさかんに運航していました。米輸送の権利は、24艘の「川ひらた」に限られていて、この24艘の管理が船庄屋の仕事です。
梅本家は、屋号を油屋やましも(山カンムリに下)と称し、江戸時代は酒造業、明治に入り醤油醸造業を営み、昭和10年代まで続いていました。
現存する建物は、江戸時代末期の建築で、木屋瀬を代表する町家です。平入りの切り妻造り、外壁が大壁造りで、かつて屋根は草葺きでした。角座敷(つのざしき)は明治5年(1872年)の建築です。
船庄屋跡(梅本家)土間
船庄屋跡(梅本家)吹抜け
船庄屋跡(梅本家)帳場
船庄屋跡(梅本家)外観
北九州市八幡西区木屋瀬4-12-5
市指定有形文化財(平成6年3月30日指定)
高崎家は屋号を柏屋(カネタマ)といい、本家柏屋(カネシメ)の7代目高崎四郎八(1795年~1865年)が分家して創立した家です。本家のカネシメは詩人、歴史学者として有名な頼山陽(らいさんよう)が立ち寄ったこともある土地の豪商です。分家の創立時期や家督相続の時期は明確ではありませんが、少なくとも天保7年(1836年)よりは遅くない時期です。四郎八は文政8年(1825年)から町年寄役を務め、翌年には大庄屋格に任ぜられています。カネタマは嘉永(1848年~1854年)の頃には板場(絞蝋業)を経営し、明治6年(1873年)頃には醤油醸造業を営んでいました
旧高崎家住宅 内庭側から見た外観
旧高崎家住宅 2階の天井は全国的も珍しい曲面形状
旧高崎家住宅
雨戸は、出隅部分と入隅部分で90℃回転させて移動し、奥の戸袋に収納されます。
旧高崎家住宅 外観
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3-5-53
永源寺は、1523年成山宗功禅師により開創された、禅宗のひとつ曹洞宗の寺院。かつて「金剛寺」と称して現在の北九州市八幡西区金剛にありましたが、応仁年間(1467~1468年)の兵火により焼失、大永3年(1523年)に現在の北九州市八幡西区木屋瀬の地に移っています。
永源寺 本堂
永源寺 正門
永源寺裏門 御茶屋(本陣)正門を移築
北九州市八幡西区木屋瀬3-5
御茶屋(東海道では本陣)は福岡藩が建てた(本家157坪、全体約190坪)官営の宿舎で、主に長崎奉行・大名・高級公儀役人等を泊めていました。管理は代官(近世途中からは六宿だけ)ですが、接待は町茶屋の主人が「茶屋ノ頭(ちゃやのかみ)」として兼ねて当たっていました。
当時使用した「御茶屋井戸(大名井戸)」は今も健在であり、また、本陣6門中唯一残っている門は明治3年永源寺の正門として移された後、大正12年に再度裏門として移転されました。
須賀神社 全景
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3-19-1
永享年間(1429年~1441年)に勧請され、その後乱世によって荒廃しましたが、寛永2年(1625年)に豪商伊藤宗伯が再建したといわれています。江戸時代や明治時代に奉納された絵馬が多数保存されています。
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3-18-12
雑貨舎雨宿りの猫たちは、日々の暮らしを少しだけ特別にしてくれる雑貨のお店です。
雨宿りの猫たち(雑貨)外観