北九州港は、福岡県北九州市にある港湾である。
九州随一の規模の港で、下関港と本港を合わせた関門港として国際拠点港湾、中枢国際港湾に指定されています。
港湾管理者は北九州市。
洞海湾と若戸大橋(国指定重要文化財)
福岡県北九州市若松区本町1-11-18
旧古河鉱業若松ビルは大正8年に建設され、石炭で賑わった若松の都市史を物語る貴重な建築物として、地元住民に親しまれてきました。老朽化が進んだため、当時の所有者において解体が検討されましたが、施設の保存を求める4万6,000人を超える署名や7,400万円を超える寄付承諾書など地元の熱意により、市が保存活用を決め、平成16年9月18日、若松区の交流・文化・観光拠点施設として開館しました。
レンガ造り2階建て
延床面積 603.38㎡
旧古河工業若松ビル 外観
旧古河工業若松ビル 1階多目的ホール
福岡県北九州市若松区本町1-10-17
国登録有形文化財
建物は若松港に面して建ち、本館(煉瓦造3階建)、倉庫棟(煉瓦造2階建)、旧分析室(木造平屋)と、それらを群として取り囲む塀及び門柱からが残る。本館は左右対称の立面構成で、縦長窓を規則的に配した煉瓦造の重厚な外観で、対照的に内部は中央を広い吹き抜けとし、装飾付の手摺やステンドグラスを用いて華やかな雰囲気を醸し出しています。
上野ビル 1階階段室ロビー
上野ビル 2階~3階吹抜け
福岡県北九州市若松区本町1-13-15
若松石炭会館は明治38年(1905年)に洞海湾沿いに建てられました。若松区内に現存する洋風建築としては最も古い建造物で、建築当初は若松石炭商同業組合の事務所でした。その後、昭和19(1944)年に社団法人若松石炭協会となり、昭和48年(1973年)からは株式会社石炭会館として今も事務所に使用されています。
脇田漁港 イカ釣り漁船 漁場まで3時間も航行するということです。
脇田漁港
ひびき海
門司は、古代の遣随使・遣唐使、さらに室町時代勘合貿易の寄港地として栄えましたが、江戸時代の北前船の寄港地は、対岸の下関であったため、門司は小さな寒村で、幕末から明治に入っても塩田が広がる寒村でした。
明治維新後の明治22年(1889年)に門司港が開港し、石炭など5品目の特別輸出港に指定されたため、北九州の工業力と結びついて大陸貿易の基地となり、急速に発展しました。開港時に設立された門司築港会社によって、計画的な街づくりと港湾の整備が行われてきたことから、文明開化後の歴史的建造物が数多く残っています。
門司港駅正面ファサード
福岡県北九州市門司区港町6
国の重要文化財に指定
大正3年竣工
ネオ・ルネッサンス風建築の木造2階建て
左右対称の建物
門司港駅コンコース
門司港駅切符売り場
門司港駅2階へ上がる階段
福岡県北九州市門司区東港町1-24
赤いレンガ造りの2階建て
明治45年竣工
門司港駅とともに港湾都市門司を象徴する建物
門司港では数少ない明治時代の赤レンガ造りの建物。
正面エントアンス側のファサード
海側からのファサード
福岡県北九州市門司区港町7-8
昭和2(1927)年に建設
た鉄筋コンクリート造4階建の建物
JR門司港駅の改札口を出ると、駅前広場越しに左右対称のファサードが見えます。
北九州大連友好記念館 外観
福岡県北九州市門司区東港町1-12
門司港が中国・大連市と国際航路を結び、1979年には北九州市と大連市が友好都市を提携。友好都市締結15周年を記念し、ロシア帝国が1902年に大連市に建築した鉄道汽船会社の建物を、そっくり複製し建築されたものが、この「大連友好記念館」。外壁は茶と白のタイルのコントラストが美しく、煙突や屋根に取り付けた窓などのデザインも印象的。
北九州大連友好記念館 玄関モザイクタイル
北九州大連友好記念館 2階
福岡県北九州市門司区港町7-1
国の重要文化財
大正10年竣工
木造2階建て
平成になって現在地に移築された。
三井物産の接客、宿泊施設として建てられました。
親水広場から正面に旧門司三井倶楽部が見える
門司港レトロ展望室は31階
福岡県北九州市門司区東港町1-32
黒川紀章氏が設計した高層マンションの最上階31階
高さ103mのひときわ目立つ展望台
関門海峡と門司港レトロを一望できる
門司港レトロ展望室最上階31階から門司港を眺める
福岡県北九州市門司区大里本町1-1
登録有形文化財
大正二年築
煉瓦及び鉱滓煉瓦造平屋建
建築面積 950㎡
延床面積 950㎡
福岡県北九州市門司区大里本町3-6-1
登録有形文化財
大正二年築
設計 林栄次郎
鉱滓煉瓦造二階建塔屋付
建築面積 210.74㎡
延床面積446.27㎡
日本における最初期の鉱滓煉瓦建物
現存最古の本格的鉱滓煉瓦建築
福岡県遠賀郡芦屋町山鹿1558-3
芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から筑前国芦屋津金屋(ちくぜんのくにあしやつかなや)(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜付近)で造られた茶の湯釜です。「真形(しんなり)」とよばれる端整な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれ、垂涎(すいぜん)の的となりました。その製作は江戸時代初期頃に途絶えますが、現代の茶席においても芦屋釜は主役を務める存在であり、大変珍重されています。 その芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点を芦屋釜が占めています。
芦屋釜のホームページ参照
大茶室・蘆庵(ろあん) 庭園を一望できる25畳の茶室です。