常盤橋は、細川時代(江戸時代初期)に紫川の東側を東曲輪として開発したときに、以前からの城下町であった西側(西曲輪)とを結ぶ橋として架設されたといわれています。当時は大橋と呼ばれ、元禄5年~7年に架け替えられてから、常盤橋と呼ばれるようになったようです。
江戸時代、常盤橋は、小倉から九州各地にのびる諸街道の起点であり終点でもありました。江戸の起点が日本橋であるように、九州の起点は常盤橋でした。
長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つを「小倉の五街道」と呼びますが、そのすべてがこの橋につながっていました。当時、紫川の西と東を結ぶ橋は2つしかなく、城下町小倉の中心地は室町・京町筋だったことから、常盤橋は非常に重要な橋であったことが推察できます。
長崎街道は、小倉常盤橋(北九州市小倉北区室町)から、長崎街道石碑(長崎市桜馬場)までの約223kmの街道です。江戸時代、長崎出島の交易品を運ぶ街道として九州でも最も重要な交通の要でした。
江戸時代に植えられた現存する曲里の松並木最古の松
曲里の松並木
中津街道は、小倉常盤橋(北九州市小倉北区京町)から、中津城(中津市)までの約53kmの街道です。
唐津街道は、若松(北九州市若松区本町)から、唐津(唐津市東城内)までの約114kmの街道です。
門司往還は、小倉常盤橋(北九州市小倉北区京町)から、大里宿を経て、和布刈(めかり)までの約14kmの街道です。
秋月街道は、小倉(北九州市小倉北区京町)から、松崎(小郡市松崎)までの約71kmの街道です。
無法松酒造 販売店舗
無法松酒造 朝倉街道沿い外観